庭刀本酒の‘本’

‘本’は、知識の習得という頭でっかちになる手段だけなく、テレビに象徴される如く受動的に惰性の中でも得られる昨今蔓延している情報源とは一線を画す、自らが能動的に価値を見出す事のできるのが本です、只のミミズが這った様な黒い線でしかないものが文字となり、それが文章となり、情報となり頭に入り、その情報となったものを自らで咀嚼し、それが時間をかけ醸成され、それが自らの言葉、文言、思想になって現れてくる。そしてそれが受け売りの言葉でなく本当の言葉として表れてくる。それが巧妙な甘言で擽り煽る社会やマスコミからの飴ちゃんやニンジンを食らわない、手段となる。万巻の書も乱読すれば8割は駄本、しかしその8割を読んでこそ2割の良本に出会えます。商業的雑誌などでなく本は、著者が真剣に語り懸ける対話であり酒場のカウンターで酒を酌み交わしながらのその著者と語り合うの同じであると、知識の吸収ではなくその著者との一期一会の巡り合いなので、再読はしません。何も残らない事は多々有り。しかし世界中そして千年以上前の朋に話を聞けるのは・・・幸甚。次回は、‘酒’について。

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